脳科学の本を読んだ

普段読書はあまりしないのですが、尊敬している方が「1 回脳科学に触れてみるといいよ」と言っているのを 2 回くらい耳にしたので、こりゃ何か読んだほうがいいなあと思ってオススメを聞いたところ、こちらの本を薦めていただいたので読んでみました。結果、自分の頭では記憶容量足りないくらいおもしろい知見が多かったなという印象で、今後も意識しておきたいことについてはここに書き留めておくことにしました。

本の内容をざっくりまとめると、「人間の取扱説明書」かな〜と個人的には思いました。以下、印象的だった知見について自分の言葉でまとめなおしてみようと思います。

因果関係は脳の錯覚

解熱剤を飲んで熱が下がったとき、「解熱剤を飲んだから熱が下がった」と因果関係でとらえてしまいがちだが、「解熱剤を飲まなくても熱が下がったかもしれない」ということを考慮すると、厳密にこの因果関係を証明することはできない。解熱剤を飲んだときと飲まなかったときの治癒率に有意な差があるというだけ。事象と事象の「相関の強さ」の話。つまり、脳は相関関係を因果関係と解釈してしまうことがあるということ。

脳の活動が事実

http://bookclub.kodansha.co.jp/books/bluebacks/infopage/brain_move01.html

「存在」を大脳生理学的に言うと、「存在を知覚する脳回路が相応の活動をすること」。

錯誤帰属

自分の行動の意味や目的に、脳が勘違いな理由づけをしてしまうこと。吊り橋効果やゲレンデマジックもこれの一種。自分がとった行動が感情と矛盾するとき、脳はこの「行動と感情が背反した不安定な状態」を逃れようとする。でも起こしてしまった行動は否定できない事実だから、心の状態を変化させることでつじつまを合わせる。これが「錯誤帰属」。

これと同様に、自分がとった行動の理由を勝手に帰属推論して無意識に意味の偽造を行うことを「作話」という。例えば、好きな歌手や曲。「なぜ好きなんですか?」と訊くと、「歌声がいい」とか「メロディラインがいい」といった答えが返ってくる。でも、多くの場合、それは勝手にそう思い込んでいるだけ。本当は、恋人と雰囲気の良いデートをしているときに流れていた曲だった(快感刺激とセットになって脳に入ってきた)とか、その曲に触れる機会が多かった(単純接触現象)とか、そういうことが本当の理由であることが多い。

なぜ、「なぜかわからない」と正直に答えるのではなく、このような原因探索が行われるのか。それに対する 1 つの解答は「生存に有利だから」。「痛い」と感じたときに「なぜ痛いのか」という理由を探索することは、命を守る大切な行為。「痛い」と感じるだけでは、それ以上の情報は得られない。主観経験の原因を探り当てることができれば、それに対処することができるし、次に備えて準備することもできる。錯誤帰属や作話は、こういった探索欲求の側面として生まれてしまったと考えることもできる。

要するに、自分は嘘で塗り固められているということ。

テグメンタと盲目性

脳の快感はテグメンタ(:快楽中枢)から生まれる。アルコールやドラッグがここを活性化させるのはなんとなく想像できるが、実は恋愛もここを活性化させる。

ある実験の話。ネズミのテグメンタに電極を刺して、そこに弱い電流を流せるボタンをつくって、そのネズミが自由に押せるようにする。ボタンを押すだけで快楽が手に入る状態。想像通り、ネズミは食うのも寝るのも忘れてボタンを押し続ける。結果、餓死するパターンも出てくる。自分の生命のことなんか忘れて、目の前の快楽しか見えなくなる。つまり、テグメンタは盲目性を生むとも言える。

恋愛における盲目性の意義について、次のような解釈もできる。数十億人の候補者から最良のパートナーを見つけるのは不可能。1 人 1 人検証していたら、あっという間に繁殖適齢期が過ぎてしまう。そんなときに、盲目性が登場する。上記のように、恋愛もテグメンタを活性化させることで盲目性を生む。盲目性が生まれることで、他の選択肢が見えなくなる。すなわち、目の前の恋人のことしか見えなくなる。結果、納得して子孫を残すことができる。

ひらめきと直感

ひらめきと直感は別物。ひらめきは思いついた後に理由が言える。直感は自分でも理由がよくわからない。また、ひらめきと直感は由来する脳部位も異なる。ひらめきは理屈や論理に基づく判断なので大脳皮質に由来し、直感は大脳基底核に由来する。基底核は手続き記憶(何かの「やり方」の記憶)の座とも言われ、身体を動かすことに関連したプログラムを保存している。これは、方法記憶の特徴である「無意識かつ自動的かつ正確」「要訓練」(例えば、箸の持ち方を考えるとわかりやすい)が、直感にもあてはまることを示唆している。

さらに、基底核には「大人になっても成長を続ける」というおもしろい性質がある。つまり、直感力は育み続けることができるということ。

吾、十有五にして学に志し、
三十にして立ち、
四十にして惑わず、
五十にして天命を知り、
六十にして耳順い、
七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず

孔子の「論語」の有名な一節。これも、年齢とともに直感力が育まれていく過程を表現していると解釈できる。このように、歳をとることにはいい側面もある。(が、個人的には「歳をとったときに直感に従えるかどうか」が別の問題として存在すると思っている。)

「正しい」の基準

例えば、シマウマが「白地に黒シマ」か「黒地に白シマ」のどちらかと訊かれると、多くの人は「白地に黒シマ」と答える。しかし、アフリカの人に訊くと「黒地に白シマ」と答える。地肌が黒色な彼らにとって白は飾り模様の色だから。実際、白いペイントで身体に装飾をするアフリカ人は珍しくない。このことから、「どれだけそれに慣れているか」という基準が「正しい」という感覚に影響していることがわかる。つまり、記憶が正しさに影響している。

また、有名な「ミュラー・リヤー錯視」では、直線の長さが異なるように見える。が、この直線の端を親指と人差し指でつまもうとすると、どちらの直線に対しても同じ指幅を広げてつまもうとする。意識の上では「長さが違う」と判断しているにも関わらず、体は「同じ長さである」ということをあたかも知っているような行動をとる。この例からは、意識(脳)よりも無意識(体)の方が正しいと言える。

「正しさ」はこの程度のもので、決して絶対的なものではない。要するに、謙虚にならないといけない。

自由意志と自由否定

例えば、手を動かすことを考える。認知レベルでは「動かそう(意志)」→「動いた(知覚)」、脳活動レベルでは「脳の準備」→「脳の指令(行動)」の順となる。しかし、4 つ全体の順番は

「脳の準備」→「動かそう(意志)」→「動いた(知覚)」→「脳の指令(行動)」

の順となる。つまり、「動かそう」と意図したときに脳はすでに動かす準備を始めている。よって、脳活動を見ていれば「動かそう」と意図するかどうかがわかってしまうということ。これを「自由意志で動かした」と言えるのかどうか。

ここで重要なのは、「行動したくなる」よりも「行動する」ことの方が必ず遅いということ。この時間差は長ければ 1 秒近くになる。この時間は「その行動をしないことにすることが可能な時間」に相当すると言われており、この時間内であれば、行動を起こすのをやめることができる。つまり、「自由」は「自由意志」ではなく「自由否定」だと捉えることができる。

ゆらぎ

例えば、「ルビンの壺」。こういったトリックアートを見たとき、ずっと顔に見え続けることも、ずっと壺に見え続けることもしない。時間が経つと自然に入れ替わる。これが知覚に関する「ゆらぎ」。脳回路の内部には自発活動があって、回路状態がふらふらとゆらいでいる。「入力」刺激を受けた脳回路は、その瞬間の「ゆらぎ」を取り込みつつ「出力」している。つまり、脳は

入力+ゆらぎ=出力

という計算を行っている。

「ゆらぎ」が関係しているのは知覚だけではない。例えば、運動。いかなるプロゴルファーといえど、パッティングを外すことはある。これにも脳のゆらぎが影響している。よって、パッティングを開始する瞬間、あるいはその直前の脳のゆらぎを見ていれば、ホールに入るか入らないかだけではなく、外したときにはどのくらい外すかさえも予測できてしまうらしい。

ゴルフパッドの話について、ゆらぎの具合が悪いときというのは、前頭葉のアルファ波が多いときに相当する。裏を返せば、アルファ波が少ないときにボールを打てばよい。もっと言えば、アルファ波を自在に操ることができればよい。結論から言うと、訓練を積めばアルファ波(ゆらぎ)はある程度コントロールできるようになる。その訓練というのは、脳波計で自分のアルファ波をリアルタイムでモニターすること。このように、自分の状態を測定して、測定した値を客観的に認知するというループ(フィードバック)をつくることによって、アルファ波は制御可能になる。

また、フィードバックの活用法として注目を集めているのは、脳ではなく身体の制御。例えば、臨床応用。高血圧治療において、普通は降圧薬で血圧を下げる。しかし、フィードバックを使うことによって意図的に血圧を下げることができたら、薬による副作用もないし、治療費もかからない。ただ、寝ている間だけは制御できないという欠点はある。

可塑性

変化して、その痕跡が残ることを「可塑性」という。これは、「どれだけ変化し得るか」というポテンシャルを表す言葉とも言える。可塑性が高ければ、先天的なハンディキャップは十分に克服できる。つまり、恵まれない遺伝子のセットを持って生まれた人でも、可塑性さえ高ければ、集団の中でトップになる余地はある。また、可塑性が高い動物(霊長類)は環境に適応することができるため、長い生物進化の過程を生き残ってきたとも言える。

ここで、進化は二相性だということに気をつけなければいけない。可塑性の高いものが淘汰に打ち勝って生き残るのは、あくまでステージ 1 の話。淘汰が進むとステージ 2 に入る。つまり、可塑性の高いものが生き残り、可塑性の低いものが排除されていくと、その集団では、可塑性が十分に高い個体ばかりになる。よって、ステージ 2 では、生まれながらにして優れた能力を持つ個体が生存上有利になる。つまり、どんな個体でも 100 点満点をとることができる状態においては、より少ない努力で 100 点満点をとることができる個体が有利になるということ。こうなると、可塑性よりも遺伝子の方が重要になり、生まれ持った遺伝子の優劣が淘汰の指標となる。その結果、集団は遺伝的に均一になる。多様性を失った種は、環境の変化に適応できずに滅びる可能性が高くなる。

リカージョン

「ラッセルのパラドックス」というのがある。例えば、世の中には 2 種類のカタログがあると仮定する。①「自分自身が載っていないカタログ」、つまり、靴とかクルマとか、そういった具体的なものを扱ったカタログ。そして、②「自分自身もそこに載っているカタログ」、つまりカタログのカタログ。ここで、③「自分自身が載っていないカタログをすべて載せたカタログ」を考える。この ③ のカタログに自分自身が載っているかどうかと考えたとき、どちらにしても矛盾が生じる。つまり、リカージョン(再帰)する集合体は必ず矛盾を孕んでしまう。

よって、脳を使って脳を考えることは、その行為自体が矛盾を孕む。脳科学は、絶対に答えに行き着けないことを運命づけられた学問なのかもしれない。

まとめ

冒頭で「人間の取扱説明書」と表現したように、「あー、、そもそも脳(人間)ってそういうふうにできてるんすね。。」と納得せざるを得ないような内容が多かったので、なんとなく見通しがよくなったように思います(?)。もうちょっと具体的に言うと、「そこ、人間はそういう仕様なんです」と割り切れることが増えたというか、変なとこで考え過ぎたり迷い過ぎたりすることが減りそうだなという感じかなと。

あと、自分はどちらかというとゲームの取説は読まずに攻略本を夢中になって読みこんで勝手に夢を膨らませるタイプなんですが、とりあえず、もっといろんなものの取説読んだ方がいいなと思いました。ということで、ここでアウトプットして承認欲求を満たすなりなんなりして、(技術書含め)読書する習慣をつけたいです。

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