落合陽一と情熱大陸とシナスタジア

たまには深夜のノリで思ったことをつらつらと。

諸々のきっかけは、テレビ持ってないけど落合さんの情熱大陸観たいなと思ってたところに流れてきた @tabbata さんのツイート。

TVer なんて便利なものがあるんすな。おかげで無事観れました。

ちなみに、落合さんの情熱大陸は今年初の視聴したいと思ったテレビ番組。去年は紅白の宇多田ヒカルだけ。まあ、別にそんなに番組の情報収集してるわけでもないのであれですが。一方、Abema にはチラホラ気になる番組が出てきている。個人的には少し悔しいんだけど、まんまとやられている感じ。でも、やられて然りだなと思う。あと、麻雀チャンネルは沼。

はい、脱線しました。戻します。

まず、番組の内容について。落合さんは常にウォッチしているので、内容は「うんうん!」という感じだった。同年代ということもあり、非常に良質な危機感を与えてもらえる存在。現時点では一方的感謝。ありがとうございます。

なんだが、今回の本題は番組の内容じゃなくて、音楽。

番組冒頭の曲と番組最後の曲。皆さんご存知、番組の代名詞と言っても過言ではないであろう、葉加瀬太郎さんの「情熱大陸」と「Etupirka」。あれで鳥肌がブワッと立った。

情熱大陸は十数年間観てないと思うのだが、何か身体に刻まれてるのだろうかと思うくらいはっきりと鳥肌が立った。ただ、おそらくこれは落合さんフィルターもかかっている気はしていて、音楽だけ聞いても鳥肌は立たなかっただろうなとは思う。ただ、もちろん映像だけ見ても鳥肌は立たないと思う。音楽と映像の組み合わせによって、何か自分の中の引き金が引かれた感覚。

これと同様の現象、結構起こる(よね?)。というか、「起こせる」と言えるくらい再現性が高いものもある。例えば FFT のイントロ。

これは音楽聴くだけでもブワッとくる。音楽を聴いて、音楽以外の何かを感じ取っている。この現象、すごく気持ちいいんだけど不思議だなあと思っていた。この感覚を生み出せるようなものがつくれたらおもしろいだろうなと思いつつも、「この感覚」をなんと呼べばよいものやら。自分はこの現象を表現する言葉を持っていなかったので、ずっとモヤモヤしていた。

今年、そこに言葉をくれたのが Rez の水口さんだった。

水口哲也のハチャメチャ人生が『Rez』で人類を進化(?)させるまで。「制約が創造を生む」なんて、もう言い訳しない【ゲームの企画書:水口哲也氏】

シナスタジア。

「あ、これだ」と思った。これは自分の長期的なキーワードになる、大切にしようと思った。

うん。要するに、落合さんの情熱大陸を観てシナスタジアを思い出したというわけです。で、せっかくなのでアウトプットしておこうと。それだけでした。まる。自己完結。

ちなみに、今は Blockchain を本業としてるんですが、個人的にはこれとシナスタジアとの交差点を探っていきたいと思っていたりもする。そんな都合のいい交差点なんてあるんかいなと自分でも思ったりするけど、自分という人間の中には何かヒントくらいあるんじゃないかなと思っている。両方とも、数少ない、直感でビビッときたものなので。頼むで、わいの大脳基底核。

以上、深夜のコインランドリーより、BGM は Chilly Source Radio Vol. 59 でお送りしました。

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