1 人の日本語ラップ好きから観た、映画『花と雨』

久々に大脳基底核に訴えかけられている気がしたので、映画館まで足を運んで観てきました(もう 2 週間ほど前のことですが)。

頭よりも目と耳を使うような映画は(自分の感性が足りないという意味で)苦手分野なんですが… 映画の影響もあってか、記憶が濃いうちに頭の中にあるものを書き殴っておきたい衝動に駆られているので、チャレンジしてみようと思います。



前置き

頭を捻って小難しいことを考えるような作品でもないなと思うし、そういういわゆる映画評論的な話は filmarks で結構おなかいっぱいになれると思うので、表題の通り、1 人の日本語ラップ好きとして、実利性のない主観的かつポジティブな感想を中心に書こうかなと思います。映画の内容に対してネガティブなコメントをつけたい人の気持ちも分からないでもないですが、そういうのも浮世に溢れているので、ここでは極力封印しようと思います。

あと、この映画によって、『花と雨』は少なくともトリプルミーニングな言葉となったため、以降で何に言及しているのかを明確にしたいときは、少し冗長ではありますが、

  • 楽曲『花と雨』
  • アルバム 『花と雨』
  • 映画『花と雨』

と書き分けることとします。

あ、多少ネタバレもすると思うので、されたくない方はご注意を。


感想と考察

「映画『花と雨』はどんな映画でしたか?」と尋ねられたら、

楽曲『花と雨』以外の楽曲の魅力をも引き出してくれる映画でした

と答えるかなと思います。


以下、自分がそう考える理由を 3 つの側面から整理しながら、映画について言及していこうと思います。



1:映画『花と雨』は、アルバム『花と雨』を原案とした作品だから

『花と雨』という言葉を聴くと、(自分含め)楽曲としてのそれを思い浮かべる人が多いのではないかと思いますが、この映画が題材にしているのはアルバムとしてのそれです。実際、劇中では他のアルバム収録曲も使われていますし、それらから紡ぎ出されたようなシーンも随所に見られます。

公式サイト にも

数々のアーティストに影響を与えた <SEEDA> 伝説のアルバム「花と雨」を原案に、観客と映画が一緒にドライブするリアルユースムービーが誕生。

と記載されています。

もちろん、映画『花と雨』によって、楽曲『花と雨』にさらなるシニフィエ的な着色がなされ、楽曲像が視覚的に拡張されたことで、その鑑賞時に生じるシナスタジアが強まった、ということは言うまでもないのですが、上記の事実を踏まえ、映画から滲み出した色彩がアルバム『花と雨』全体に染み渡っていく様と向き合うことで、より一層『花と雨』の深みが増したように思います。

特に『Live and Learn』に関しては、上に貼った予告編で使われている影響もあり、この映画が自分に植えつけたイメージを最も強く(楽曲『花と雨』以上に)想起させる楽曲となりましたし、毎日仕事帰りにリピートしてしまうくらい好きになってしまいました。特にそのトラック。映画を観る前になぜこの魅力に気づけなかったのか、自分の感性を疑わずにはいられない一方、シナスタジアが楽曲の魅力に大きく影響するということを改めて認識させられ、その可能性に期待が膨らんでいる自分もいます。複雑な気持ちです。


…整理すると、映画『花と雨』は、楽曲『花と雨』と強く補完し合うだけでなく、他のアルバム収録曲とも同様に相互作用することで、お互いの魅力を引き立たせ合うような作品となっているわけです。



2:劇中で、当時の SEEDA を取り巻く人間関係も描かれていたから

劇中では、ストーリーの主軸となる SEEDA とそのお姉さんの関係はもちろんのこと、SEEDA と I-DeA の関係や、SEEDA と BES の関係なども描かれています。特に、『不定職者』の『SKiT』にある SEEDA と BES のやりとりを再現、からのフリースタイルでのかけあい、のシーンは印象的でした(これは当然 1 とも関連します)。

I-DeA や BES に関しては、もちろん映画を観る前からその存在は認識していましたが、彼らが関わった楽曲と自分との接点として認識していたのは SCARS の『THE ALBUM』くらいで、正直、彼ら自体や彼らが関わった楽曲に特段興味もありませんでした(ごめんなさい)。『THE ALBUM』を聴き始めたのも SEEDA の過去に対する興味ゆえでした。

が、映画で描かれた SEEDA と彼らの人間関係が自分の頭にインプットされたことで、彼らに対して素直に興味が持てたように思います。実際、映画を観てからまだ 2 週間弱ほどではありますが、自然と彼らが関わった楽曲を少しずつ dig し直している自分がいます。

そして、その過程では、今の自分の中で「最高」と自信を持って言えるヴァースに出会うこともできました。アルバム『GREEN』に収録されている『Path ft. Manny of SCARS, BES of SWANKY SWIPE』の BES のヴァースです。せっかくなので(?)、リリックを以下に書き出してみます(バックミラーは和製英語なので除外しますが、英語で書けるところは英語で書きます)。

結局
Money Pain 切れない Chain
煙の向こう 終わらない Game
必要にバックミラー お前何処睨む?
ベトつく指が 音と Budz 刻む

Money Pain 切れない Chain
煙の向こう まだ続く Game
それぞれの Block Babylon さえ罠
無駄に開花さすな 下世話な華

Money Pain 切れない Chain
煙の向こう 終わらない Game
必要に Speaker モロ響く日夜
ベトつく指が また響く Cypher

裏路地の Play Ball 甘い蜜は美味
何処に射す Sunshine 摩天楼の One Night
Money Pain 切れない Chain
それぞれの Choice 終わらない Game

うむ… 文字だけでも十分… 紙に書き出して家に飾っておきたいくらいです。I-DeA のトラック(ですよね?)とのシナジーも圧倒的で、聴覚に訴えかけるだけでなく、このヴァースから映画 1 本撮れてしまうのでは?と思えるくらい、視覚的なイメージを連鎖的に湧き立たせてくれます。が、ここでどんな賞賛の言葉を贈ろうと、その魅力を伝えきることはできないので、とにかく聴いてください。

I-DeA × BES だと、他にも、アルバム『self-expression』に収録されている『One Night』の BES の 1st ヴァースも好きです。入りの穏やかめなトラックに chill するのも束の間、ヴァースの頭からブン殴られて、そのまま自分好みのフローに乗せたパンチラインでボコボコにされるあの感じ、たまりません。他にも「これは聴いとけ!」という曲がある方は是非教えてください🙏


…と、後半は自分が言いたいことを垂れ流してしまいましたが、整理すると、映画『花と雨』は、当時のリアルを知らない自分の頭の中に薄っすらと描かれていた SEEDA とその近くにいたアーティストとの関係性に肉付けを行うことで、彼らが関わった楽曲の魅力と向き合い直すきっかけを与えてくれたわけです。



3:劇中、主人公がラップをやりきるシーンがほぼないから

これはちょっと主観が入ってしまっているので、「そんなことない」と思う人も多くいるかもしれませんが、個人的には、劇中に主人公がラップをやりきるシーンはほぼなかったと思います。ラストシーンに関しても、(やろうと思えばできたように思いますが)観客の中に強いカタルシスを巻き起こすほどやりきってはいないと思います。

この事実に関しては、土屋監督が 公式サイト

自分が監督するからには、偉大なアルバムであることはわかった上で、それを殊更に強調したり、それに寄りかかった映画に仕上げるのとは違うアプローチを考えました。なぜなら、そこには極私的な内容、描写の中に、若者の抱えている苛立ちや葛藤、普遍的なテーマが描かれていることに気づいたからです。解釈を強制するのではなく、観客自身がこの映画や主人公に対して能動的に自分を重ね合わせていけるような感覚を大切にしました。

とコメントしていることから察するに、主人公のラップシーンが濃くなり過ぎることによって、(その多くがラッパーではないだろう)観客が自身と主人公を重ね合わせるにあたっての障害が増えてしまうことを懸念し、意図的にそのようなシーンを切り取った、という側面もあるのではないかと思われます。SEEDA に容姿が似ているわけでもない笠松将を主演に据えていたり、劇中の重要なシーンで一人称視点が用いられていたりする辺りにも、同様の配慮が伺えるように思います。また、初サイファーのシーンやバトルのシーンなどは、観客に鬱憤や消化不良感を蓄積させるという目的でも、ラップシーンを切り取る意味があったと思われます。

が、これらの事情はさておき、結果として、主人公がラップをやりきるシーンがほぼなかったわけです。

ゆえに、映画で描かれる主人公の精神面における変化に追従して、実際にラップのスタイルがどう変化したのかまでは分からないのです(いざ再現しようとしてもかなり難しいとは思いますが…)。となると、このモヤモヤを解消するには、実際に当時の SEEDA の楽曲を聴いて確かめるしかないわけです。

このような流れで、アルバム『花と雨』以前の SEEDA の楽曲に誘われた自分は、

SEEDAについて誰もが知っている二、三の事柄 あるいは語り草の束

を読み返しながら、この文脈に沿って紹介されている楽曲を中心に聴き直し、映画で描かれた主人公の精神面における変化と重ね合わせながら、SEEDA のラップスタイルの変化を追いかけました。結果、上記のモヤモヤはかなり解消されましたし、その変化が背景にあることを認識することで、いくつかの楽曲は魅力が増したように思います。

詳しいガイドラインは上記記事に譲りますが、その変化が感じ取れるプチプレイリストを自分の好きな楽曲からつくるとしたら、

  • 『Path ft. Manny of SCARS, BES of SWANKY SWIPE』
    • I-DeA Presents SEEDA(2005)『GREEN』より
  • 『HOMIE HOMIE - REMIX』
    • SCARS(2006)『THE ALBUM』より
  • 『Ill Wheels ft. BES』
    • SEEDA(2006)『花と雨』より

あたりをチョイスして、時系列で並べるかなと思います。この 3 曲は全て BES が参加している楽曲だということもポイントです。


…はい。長くなりましたが、整理すると、映画『花と雨』は、良くも悪くも主人公によるラップシーンを強調せず、主人公の精神面における変化に追従したラップスタイルの変化までは描かなかったことにより、アルバム『花と雨』以前の SEEDA の楽曲の魅力と向き合い直すきっかけを与えてくれたわけです。



まとめ

以上、自分の感想を出発点とし、3 つの側面から、映画『花と雨』がいかにして楽曲『花と雨』以外の楽曲の魅力を引き出すに至ったかを考察・整理してみました。

映画の製作陣がここまで述べてきたような誘導をどこまで狙っていたのかは分かりませんが、もし自分が監督だったら、「映画を観た人には、楽曲『花と雨』に留まらず、SEEDA にまつわる “HIP HOP” にもっと触れてほしい」と思うかなとは思います(ビジネス的な意図も含め)。

もちろん、ここで言う “HIP HOP” は、文化、あるいはライフスタイル、あるいは生き様であり、四大要素それぞれの側面と部分的に関わっただけで十分に体感できるものではないので、自分としても、映画で描かれた SEEDA のリアル、そして、その普遍性を頭に置き、これからも多角的に “HIP HOP” と関わっていこうと思います。

最後に、リスペクトを込めて、誰もが認めるクラシックであろう、楽曲『花と雨』のフックを引用して締めくくろうと思います。映画製作陣の皆さん、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

長くつぼんだ彼岸花が咲き
空が代わりに涙流した日
2002 年 9 月 3 日
俺にとってはまだ昨日のようだ
Standing my own two
I’m a bad ma-fucker
喜怒哀楽受け入れるから Holla!
平和どこのネイバーか知らねーが
Smoke したってここじゃ行けねーわ

eia の押韻が、このフックに留まらず、ある重要な言葉と接続しているのは言うまでもないことですが、映画によって、この押韻の奥行きが増したように思います。



参照


※追記(2020.01.31)

本日、SEEDA 本人へのインタビュー映像 by HIPHOP DNA の前後半が揃いました。当事者の言葉に耳を傾けるのは非常に大切だと思うので、ここにも両方貼っておきます。


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